AJ Auxerre

シェウケンゴが応援しているフランスのフットボールクラブ「AJオセール」についてです。

クラブデータ

正式名称Association de la Jeunesse Auxerroise
(アソシエション・ドゥ・ラ・ジュネーズ・オセロワーズ」
ニックネームAJA
設立日1905年12月29日
スタジアムスタッド・ドゥ・ラ・ラベデシャン(18,541人)
オーナー🇨🇳ジェームズ・ジョウ
会長🇫🇷バティスト・マレーブ
監督🇫🇷クリストフ・ペリッシエル
最多出場🇫🇷ファビアン・コール(467)
最多得点🇵🇱アンジェイ・シャルマッフ(100)

クラブの歴史

1887年に地元オセールの神父アポリネール・ゲステが、青少年団体を設立した。この団体を母体として、1905年に青少年団体の会長を務めていた聖職者エルネスト・デシャンによって「アソシエション・ドゥ・ラ・ジュネーゼ・オセロワーズ(Association de la Jeunesse Auxerrois)」が結成された。設立当初は体操競技、射撃、軍事訓練、そしてフットボールの部門があった。

1912年にヨンヌ川の近くの土地を購入し、1918年に自前のスタジアム「スタッド・ドゥ・ラ・ルート・ドゥ・ヴォー」が建設された。AJオセールはこのスタジアムを拠点として、活動していた。

1917年にフランスサッカー連盟にチーム登録を行い、第二次大戦後の1946年にヨンヌ県リーグのチャンピオンとなった。1949年にクラブの創設者のエルネスト・アベ・デシャンが死去し、スタジアムの名前は「スタッド・ドゥ・ラベ・デシャン(Stade de L’Abbe Deschamps)」に改名された。

しばらくはブルゴーニュでのアマチュアリーグとして活動していたが、1961年にジャン・ガルノーがクラブの会長に就任し、当時23歳のギィ・ルーを選手兼監督に招聘した。部屋を暖めるために石炭を買えず、木材を切っていたほど、当時深刻な財政難に悩まされていたクラブは、監督を求めていたクラブに寄せられた履歴書の中で、最も安い報酬額を提示していたことが理由とされている。アルザス地方のコルマール出身で、第二次大戦により疎開してきたギィ・ルーがこのクラブを率いることになり、クラブの命運は大きく変わることになった。

ギィ・ルーが監督に就任後、1974年にフランス3部の4位に入り、初の2部昇格を果たした。昇格後、安定した成績を収めたオセールは、1977年にクプ・ドゥ・フランスのベスト16に初進出し、1979年には初の決勝進出を果たした(決勝戦はナントに1-4で敗戦)。そして1979-1980シーズンに2部優勝を果たし、初の1部昇格を果たした。

1980年に昇格したオセールは、後にフランス代表正GKになるジョエル・バツ、ポーランド代表のFWアンジェイ・シャルマッフを獲得。昇格後も順調に1部で奮闘しているオセールは、1983-1984シーズンに3位で終了。翌シーズンには初の欧州カップ戦の出場を果たした。その後のEURO1984では、FWジャン=マルク・フェレリとGKジョエル・バツがフランス代表に選出され、ヨーロッパチャンピオンのメンバーとなった。

シャルマッフ、バツ、フェレリなどの主力選手は引き抜かれるものの、オセールは下部組織からエリック・カントナが昇格、後にフランス代表になる、GKブルーノ・マルティーニ、DFバシール・ボリ、FWパスカル・ヴァイリュアの活躍により、オセールは一桁順位をキープし続けた。1988-1989シーズンに5位になり、UEFAカップ出場権を獲得したオセールは、翌シーズンにクラブ史上初のベスト16に進出した。

90年代に入ってから、欧州カップ戦の常連となり、フランス有数の強豪クラブとして台頭した。92-93シーズンのUEFAカップでは、ベルギーのスタンダール・リエージュ、オランダのアヤックス・アムステルダムを破り、クラブ史上初のベスト4進出を果たした(準決勝はドルトムントに2-2でPKで敗戦)。93-94シーズンには、クプ・ドゥ・フランスの決勝でモンペリエに3-0で勝利し、クラブ史上初のタイトル獲得となった。

上位争いの常連となっていたオセール。95-96シーズンは、フランス代表の常連として定着していたキャプテンのMFコランタン・マルティンスを始め、MFサブリ・ラムシ、DFローラン・ブラン、ナイジェリア代表DFタリボ・ウェストなどを擁した。しかし、シーズン序盤に躓き、早々に欧州カップ敗退してしまうが、年明け後に復調し、勝ち点差10以上開いていたPSG相手に終盤戦に逆転し、見事初のリーグタイトルを獲得。更にクプ・ドゥ・フランスでは、決勝でニームに2-1で勝利し、二冠を達成した。

初のチャンピオンズリーグ出場を果たしたオセールは、二冠を最後にマルティンス、ブランなどを失うものの、グラスゴー・レンジャーズ、アヤックス・アムステルダムなどに勝利し、グループリーグを2位で勝ち抜き、準々決勝進出。このシーズンで優勝したドルトムントに破れたものの、クラブ史上に残る快挙を見せた。

栄光の時代を築いたオセールだったが、1999-2000シーズンにギィ・ルーは引退。アシスタントコーチを務めていたダニエル・ローランが監督となり、当時若手選手だったFWジブリル・シセ、DFフィリップ・メクセス、DFジャン=アラン・ブームソンなどを抜擢したものの、成績は芳しく無く、1年で退任。ギィ・ルーが復帰することになった。

ギィ・ルーが復帰したものの、動脈硬化が発覚して、10月に入院。アシスタントコーチだったアラン・フィアールが指揮を執りつつも上位にとどまり、1月には復帰したギィ・ルーに引き継ぎ、リーグを3位で終了。2度目のチャンピオンズリーグ出場を果たした。その後、2002-2003シーズン、2004-2005シーズンにクプ・ドゥ・フランス優勝を果たし、2005年の決勝を最後にギィ・ルーは監督業引退を決めた。

2005年にはフランス代表を率いていたジャック・サンティニが率いるものの1年で退任。その後、元マルセイユ監督のジャン・フェルナンデスがオセールを率い、2009-2010シーズンに3位になり、3度目のチャンピオンズリーグ出場を果たした。

しかし、資金源が恵まれず、選手育成が中心だったオセールも、時代の流れにより、1部を守り続けるのも難しくなり、2011-2012シーズンにリーグ最下位となり、30年守り続けた1部の座から降りることとなった。

その後、クラブは深刻な財政難に陥り、2部でも下位に低迷し続けることとなる。クラブ上層部での権力争いにより、これまで健全経営として確立していたクラブも、大きく混乱し、一時はクラブの存続も危ぶまれる事態となった。クラブは二度の買収を経て、2016年2月に中国のジェームズ・チョウに買収された。

チョウ体制になったオセールは、リーグアン復帰を目指すべく、2016年に元ボルドーのフランソワ・ジロ、シーズン途中にナンシーで実績があるウルグアイ人のパブロ・コレラ氏が就任するも昇格どころか残留争いに巻き込まれた。昇格の切り札として、2019年に過去4度のリーグアン昇格実績がある「昇格請負人」のジャン=マルク・フルラン氏が就任した。11位、6位と着実に順位を上げると、2021-2022シーズンには3位になり、昇格プレーオフでソショー、サンテティエンヌに勝利し、10シーズンぶりのリーグアン復帰を果たした。

10シーズンぶりに1部に昇格したオセール。開幕4試合は2勝1分1敗とまずまずのスタートを切ったが、第5節から失点が増えだし4連敗。第10節終了時点で2勝止まりのオセールは19位に沈み、ジャン=マルク・フルラン監督を早々に解任。10月27日からはアミアンやロリアンなどを歴任したクリストフ・ペリッシエル監督の就任を決めた。それでも苦しんだオセールは7連敗を喫したものの、22節以降は6試合負けなしとチームを持ち直し、29節からは残留争いのライバルであるトロワ、アジャクシオ、ナント相手に3連勝を果たして降格圏を脱出し、残留に望みを繋げた。しかし、32節以降は3分4敗と1勝もできず、最終節で17位が確定し、1年でのリーグ・ドゥ降格が決まった。

2022-2023シーズンは、ペリッシエル監督が引き続きチームを率いることになった。長年チームを牽引したキャプテンのMFビラマ・トゥレはサウジアラビア、チーム得点王のFWママドゥ・ニアンはトルコへ去ったが、FWゴーティエ・アン、MFガエタン・ペラン、MFラヤン・ラヴェロソン、DFジュバル、DFギデオン・メンサーらは残留。新戦力として、オセールユース出身のFWフロリアン・アイェが復帰、更にオセール史上初の日本人選手としてオナイウ阿道が加わり、1年でのリーグアン復帰を目指すことになった。

オセールとはどんなクラブ?

フランス中部ブルゴーニュ地方ヨンヌ県の人口4万人の小都市、オセールをホームとするクラブで、110年以上の歴史を誇る。カトリック教会の青少年団体が母体となるクラブで、エンブレムにはマルタ十字にフットボールが施されている。チームカラーは白と青。由来は聖母マリアをイメージしていると説はあるが、当時のスタッド・アベ・デシャンの照明が芳しくなかったことから、白を貴重とした説もある。

2012年にリーグドゥに降格してからは、かつての輝きを取り戻せずにいるが、リーグアン優勝1回、クプ・ドゥ・フランス優勝4回と数々のタイトルを獲得しており、UEFAチャンピオンズリーグには3度、UEFAカップウィナーズカップには1度、UEFAカップには13回出場した。

設立のコンセプトが「青少年育成」であるため、クラブのアイデンティティも選手育成に力を注いでおり、1980年代からエリック・カントナを始めに、ジャン=マルク・フェレリ、バシール・ボリなどのフランス代表選手を輩出。2000年代には脚光を浴び、ジブリル・シセ、フィリップ・メクセス、オリビエ・カポなどフランス代表へ送り出した。近年はセバスティアン・アレ(アヤックス)、エヴァン・エンディカ(フランクフルト)などを輩出し、現在もなお、フランス有数の育成クラブとして名高い。

また「再生工場」としても定評があり、当時不調に陥っていたベルギーの名選手エンツォ・シーフォ、フランス代表DFローラン・ブラン、2000年代にはリヨンで出場機会を失っていた元フランス代表MFブノワ・ペドレッティを復活させた。

選手一覧

NoPo名前Nom生年月日前所属加入年
16GK🇬🇫ドノヴァン・レオンDonovan Leon1992.11.3ブレスト2020
30GK🇫🇷ソニー・レトンSonny Laiton2000.1.282017
37GK🇫🇷ラファエル・アデルカムRaphaël Adiceam1990.7.32023
40GK🇲🇶テオ・ドゥ・プルサンTheo De Percin2001.2.22021
2DF🇫🇷コラン・ダグバColin Dagba1998.9.9パリ・サンジェルマン2023
4DF🇧🇷ジュバル・ジュニオールJubar1993.8.29🇵🇹セトゥーバル2020
5DF🇫🇷テオ・プレナールTheo Pellenard1994.3.4ヴァラシエンヌ2021
6DF🇲🇦サード・アグズールSaad Agouzoul1997.8.10ソショー2023
13DF🇫🇷クレマン・アクパClément Akpa2001.11.242020
14DF🇬🇭ギデオン・メンサーGideon Mensah1998.7.18🇦🇹レッドブル・ザルツブルク2022
24DF🇫🇷アンジェ=ロイク・エンガッタAnge Loïc N’Gatta2003.11.102023
26DF🇫🇷ポール・ジョリーPaul Joly2000.6.7アミアン2021
8MF🇫🇷ナタン・ブアイ=キアラNathan Buayi-Kiala 1998.12.19🇮🇹パルマ2024
10MF🇫🇷ガエタン・ペランGaetan Perrin1996.6.7オルレアン2021
18MF🇫🇷アラサーヌ・ディウセAssane Dioussé1997.9.20🇬🇷OFI2023
35MF🇫🇷ケヴィン・ダノワKévin Danois2004.6.282019
42MF🇬🇭エリシャ・オウスElisha Owusu1997.11.7🇧🇪ヘント2023
97MF🇲🇬ライアン・ラヴェルソンRyan Ravelson1997.1.16🇺🇸ロサンゼルス・ギャラクシー2022
7 FW🇫🇷ゴティエ・アンGautier Hein1996.8.7メス2020
11FW🇳🇱エロス・マディEros Maddy2001.2.5🇳🇱ヘルモント・スポルト2023
17FW🇲🇱ラシーヌ・シナヨコLacine Sinayoko1999.12.82019
19FW🇫🇷フロリアン・アイェFlorian Ayé1997.1.9🇮🇹ブレシア2023
22FW🇫🇷ティディアーヌ・ディアワラTidiane Diawara2005.4.292018
45FW🇯🇵オナイウ阿道Ado Onaiwu1995.11.8トゥールーズ2023
75FW🇸🇳イッサ・スマレIssa Soumaré2000.10.10ル・アーブル2023